出典:(C)鳥山明/集英社・東映アニメーション
鳥山明(とりやまあきら)史
1955年に名古屋に生まれた鳥山明氏は、1978年のデビュー以来、独特の世界観と卓越した表現力であっという間に日本を代表するエンターテイナーにのぼり詰めました。アーティストとしての才能も認められており、鳥山明氏の影響を受けて世界で活躍するクリエーターも多いです。
一方の本人は自身の作った作品に対して「僕の作った世界観は逃げの設定」とも語っており、まだまだ底力があることがわかります。また、後に大人気RPGゲームの『ドラゴンクエストシリーズ』の表紙を受け持つなど、国民的メディアの中枢を担うクリエーターとしてその名を馳せました。
則巻千兵衛の不思議
意外なことに、Dr.スランプとはあられちゃんを示す言葉であるはあるが、本意としては則巻センベエがDr.スランプであり、あられちゃんは則巻の妹であることから『Dr.スランプ アラレちゃん』という呼称が生まれたのだそうです。
さて、Dr.スランプ則巻センベエはいかにしてあられちゃんを生み出したのでしょう。則巻センベエは見た目によらず28歳、若いのですが、あられちゃんが子供でもおかしくない年齢です。しかし、子供が欲しかったわけではないようです。ネットを調べる限りでは、「ノリと勢い」で作ったと云われています。則巻センベエは、能で言う所のシテのような役割であられちゃんと視聴者を繋ぐ重要なポジションにあります。
親世代がどう受け入れたのか
オーバーオールに羽のついたキャップをかぶって「キーーン!!」と叫びながら飛んでくる(時に通り過ぎる)あられちゃんの姿は子供達に「素直さ」という強さを植え付けたことでしょう。しかしながら明らかに下品な表現も数知れず、同時期に放送された『おぼっちゃまくん』がPTA関係で憎まれ口を叩かれていたことからも家庭により、子供の受ける影響には差があったものと記憶しています。
ギャグ漫画としてのDr.スランプ
前記した『おぼっちゃまくん』では台詞でのギャグを前提とした、シチュエーション・コメディーに仕上がっていますが、『Dr.スランプ アラレちゃん』では逆に、シチュエーションコメディーの中にスパイスのようにギャグが埋め込まれているといった印象です。そして、アラレちゃんにはフィアンセとも呼べるであろう一人の大事なお友達がいます。
オボッチャマクン(キャラメル4号)はペンギン村に住んでいる常識人ですが、その戦闘能力はアラレちゃんと同等でアラレちゃん同様、「ロボビタンA」をエネルギー源としています。
まとめ
鳥山明氏は1986年を境にDr.スランプを「さよなら!!ペンギン村」という形で幕を閉じ、同年から同氏による「ドラゴンボール」の放送を始めています。「ドラゴンボールZ」を含めその先の作品まで考えると、筆者が1歳の頃から、いまだに同氏の世界観が描かれていることがわかります。40年間休まずにです!!
このような時代に生まれたことをエキサイティングに捉えられなければ人生損したも同然です。この長い歴史の始まりに出会えたこと、今なお原点回帰の手段として鳥山明先生と作品を共有できること。そう、視聴者あっての作品なのです。常にシュールな時流を感じながら楽しめる作品と出会えたことに感謝したいと思います。
文章:Shinichiro.S