出典:©カルロ・ゼン・KADOKAWA刊/幼女戦記製作委員会
このアニメはエンターブレインで出版された小説で、原作者がカルロ・ゼンの同名小説をもとに、2017年1月から4月まで全12話が放映されました。アニメーション製作はNUTが担当しています。
私は神など信じない
現代に生きているエリートサラリーマン(男性)が自分の手で解雇した人物によって、駅のホームに電車がくるさい、突き落とされ死んでしまいます。
そして「存在X」によって異世界に転生して、幼女のターニャ・フォン・デグレチャフとして生きることになってしまいます。
異世界はヨーロッパに似たところで、第一次世界大戦と第二次世界大戦が混じったような世界でした。
その世界には魔術というものがあり、戦争に魔術師を戦力として使っていました。
孤児であったターニャは魔術適性が高く、軍隊に入って兵士として頭角を現していきます。
そして戦地では敵国の兵士に「ラインの悪魔」として非常に恐れられます。
ですが、本人は徹底した合理主義者で保守的であり、むしろ戦争で死ぬリスクを冒すよりも、安全な後方支援として生きたいと考えて行動していきます。
ところが兵士として優れた能力を持った彼女を軍の上層部は捨ててはおかず、彼女の思惑とは異なる、激戦地域に投入するのです。
ターニャと「存在X」
見た目幼女、中身30代の合理主義者の中年に信仰を求める「存在Ⅹ」。
ターニャは「存在X」忌み嫌いますが、彼女が戦闘時に「存在X」をたたえる祈りを唱えながら敵に大きな一撃を与えるというところに皮肉を感じます。
「存在X」とはつまり「神」ということだと思います。
「存在X」はターニャが自ら悔い改め、私への信仰に立ち返るのならよしとすると思われます。
これはキリスト教の考えですね。
ターニャは自分の運命をあざ笑うかのように苦難をしいる「存在X」に対して、憎悪を禁じ得ません。
自分の能力と才覚に自信を持っている合理主義者のターニャにしては「存在X」は認めがたい存在なのです。
これは八百万の神を持っている多神教の日本人にはわかりにくいのかもしれませんが、人対神と考えるとわかりやすいでしょうか。
ターニャが自分の運命への抵抗が「存在Ⅹ」に通用するのでしょうか?
ここのところがこのアニメの見どころの一つだと自分は思います。
文章:針尾