出典:©賀来ゆうじ/集英社・ツインエンジン・MAPPA
もし、『ドラえもん』における「のび太」に生き別れの兄がいて、名前が「げび太(下卑た)」だったなら、そこからドラマが生まれそうじゃないですか?(挨拶)
と、いうわけで、フジカワです。プライベートな問題で恐縮なのですが、ここ数日寝覚めがものっそい悪くて、ちょっと気分が色々アレな今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。
今回の記事は、「『地獄楽』第二話を観たぜ!」とかいった話です。
あらすじ
極楽浄土から「不老不死の妙薬」を持ち帰れば、死罪を免れることを知り、その話に乗ることを決めた、主人公の画眉丸。
他の死罪人と一堂に集められたはいいものの、「船に乗れる人数には限りがある」と言われ、選別という名の殺し合いが始まることになる……。
見どころ!
はい。第二話は、ぶっちゃけ「死罪人同士のバトルロワイヤル」が、表面的な見どころ。
なんせ、揃いも揃って極悪人です。中には快楽殺人犯なんぞもおり、「無罪放免になれば、また殺したい放題だぜ!」なんてぇほくそ笑むような、アレな奴もいる。
確かに、自分が助かるためなら、手段は選んでいられませんよね。必死になる。ワカります。
ただ、そんな、血で血を洗うようなバトルの中、当の画眉丸だけは、やけに消極的。率先して殺さない。
そう。画眉丸は「できれば殺したくない」わけです。
ただし、「売られたケンカは買う」スタイル。お役人にけしかけられ、他の死罪人に襲われるのですが、いったん「スイッチ」が入ると、無双モード発動。
造作もなく、しかも残忍に、襲ってきた連中を全員抹殺する。強い。
ところで、その場には将軍様もいるのですが、第一話で出てきたお奉行様同様、残忍な光景を楽しんでいる感がありありと。
前回、「下品なサディスト」と書かせて頂きましたが、ちょっと違うようですね。太平の世である分、「他人の死や苦痛」が「娯楽」だからでしょう。
これは、現代にも通じますよね。人間、「自分が関係なきゃ」、他人の生き死にを、「娯楽として消費」するもんです。嫌な話だ。
本当の見どころ!

出典:©賀来ゆうじ/集英社・ツインエンジン・MAPPA
この第二話、打ち首執行人である、山田朝ェ門佐切の心理描写が巧みです。
彼女は、執行人としての腕は確かであるものの、「人を殺す」ことについて、葛藤を感じています。
その都度、「刀に映る真実」を通して、恐怖(と、おそらく罪悪感)を覚えている。
要所に、佐切の過去の描写が入ります。彼女が幼かった頃。打ち首執行人の家系であることから、佐切はいじめられたりしていた。
それでも、宿命に従って、刀を手にする。腕は上達したものの、殺した罪人の「怨念」、あるいは自身の「恐怖」に囚われている。
が、しかし。画眉丸のスタンスを知り、彼女の心が動きます。画眉丸のスタンス。それは、「『命を奪った恐怖と罪悪感を克服』するのではなく、『命を背負う』」。
つまり「受け止める」こと。画眉丸は「背負う数が多くなるから、無駄に殺さない」のです。
その、ある意味での「答え」を、画眉丸の中に見た佐切は、一筋の涙を流します。ここが美しい。
そりゃね、佐切も、いかに腕利きの打ち首執行人とはいえ、年頃の女性です。繊細さも、あってしかるべきでしょう。
むしろ、その繊細さが可愛くもある。職務に徹する冷酷さの中に潜む人間くささ。
砕いて言えば、「ギャップ萌え」ですよ。表現方法としては、実に巧い。面白い。
まとめ!
ってことで、まとめます。
結果的に、画眉丸は、島へ向かう十人のうちに入ります。
ここからいよいよ、というところではあるのですが、他の死罪人どもが、まあ一癖も二癖もあるような連中ばっかり。
いかに、それぞれに他の山田朝ェ門達が監視役につくとは言え、波乱のなかろうはずもなし。
どうなるのか? というのももちろん楽しみではあるのですが、個人的には、画眉丸の活躍もさることながら、佐切の心境の変化が、もう一つの楽しみかな? と思いました。
妻を誰よりも愛している画眉丸は、他の女になびくことはないかとは思いますが、佐切の方からアプローチを掛けていったなら、それはラブコメに。そういう話じゃないですね。すみません。
さあ、次が楽しみです。「佐切可愛いよ佐切」とか言い出すと、ああ、皆様がドン引きする(じゃあ言うなよ)。
んじゃまた。
文章:フジカワ