出典:©オダトモヒト・小学館/私立伊旦高校
人付き合いを苦手とするコミュ症の古見硝子(こみ しょうこ)の高校での目標は、「友達を100人つくる」こと。
ところが、私立伊旦高校は、友達にするにはどうかな?という変人の集まりだった。
そんなクラスメイトたちによって、類稀な美貌の持ち主でもある古見さんは、たちまち「神」として奉られてしまう。
神となってしまった古見さんの友達といえる存在とは何だろうか?
ライバル
何かと競い合えるライバル関係の友達です。
身長、体重、勉学など、競い合いお互い高めあっていければ、学園生活もそれなりに楽しいものになることでしょう。
ある意味、理想的な友達だと思うのですが・・・。
神古見さんの心はこう言っています。
「一方的にライバル視されてもウザいだけです」
趣味を共有
趣味を共有できれば、話題にも事欠かないことでしょう。
たとえ相手が中二病で、一方的に友達扱いされたとしても、面倒くさくなくていいじゃないですか。
そういう出会いもありです。
ただ、神古見さんの心はこう言っています。
「特に趣味を持たないわたしには、ウザいだけです」
相手に合わせる
長名なじみ(おさな なじみ)は普段から女装したり、妙に高いテンションで接するなどして、相手の注意を引き付けたり、警戒心を解こうとしてきます。
そんななじみの調子に乗って見ると・・・。
なじみには、唯一友達になれなかったという恨みがあったようで、コミュ症を治すためと称して、気づけば使い走りさせられている古見さん。
これこそが、まさに友達という名に隠れた地雷です。
なじみは神古見さんの天敵と言えるかもしれません。
そんな人は、神古見さんにとって、
「ひたすらウザいだけです」
いつの間にか
もともと席が隣同士だったというだけなのに、ストーカーっぽい感じでいつもそばにいて、よく話しかけてきて、いつしかその場の雰囲気から、神古見さんの言いたいことを代弁している人。
そんな只野仁人(ただの ひとひと)は、いつの間にやら口を効いてもらえる唯一の存在となっている。
これが神古見さんの友達の理想像なのでは?
神古見さんの心曰く「みんなも只野くんを見習え!」といったところでしょう。
友達100人作るにしても、やはり選ぶもの。
神古見さんは「友達は、ただ作ればいいというものではない、友達が欲しければ時間をかけて努力せよ、お前らが」と教えてくださっているに違いありません。
あなたは、神古見さんの「定員100人の友達」になれそうですか?
文章:ヒトツメロバ